キングダムからの考察→原作と映像(アニメ・ドラマ・映画)の関係。

1.原作のイメージ通りに作られた実写版

映画「キングダム」が好調だ。
興行成績もさることながら、コアなファンからの評価が高い。

私の周りにも、原作の漫画を全冊持っている者や、フィギュアを職場に誇らしげに飾っている猛者もいる。皆、異口同音に「原作のイメージ通りに実写化されていてイイ!」と評価しているのだ。

映画・ドラマ・アニメを観る際、ファンは原作で作られた映像イメージが、同じように可視化されていないと満足しない。
これは原作が小説でも漫画でも、また映像がアニメでも実写でも変わらない。
逆に映像が、原作を通して自分が思い描いたイメージ通りなっていない場合、ファンの興味は半減する。

常々これが持論であった。
今回、聞き回ってしてみると、皆同じ意見を持っていたので、この感覚は自分だけではないのだと確信し、安心した。

原作ありきの映像作品は、明らかにストーリーの展開が予め分かっており、それでは観客も面白くなかろうとの思惑で、いろいろと手を加えていくという発想が製作陣にあるのたろうか。

だとしたら、それこそ大きなお世話でしかない。 ファンはそのようなことを望んではいないのだ。

2.ファンの期待に応えた王騎将軍

ところで、キングダムで重要な役割を果たす存在として、秦の六大将軍の1人である「王騎」がいる。

実写版のキャストが発表された時、その俳優が筋骨隆々な王騎のイメージに即しているのか、随分と危ぶまれた。

しかし彼は劇中で王騎を見事に演じ切った。そのために体重を約18Kg増やしたのである。

当然、撮影が終了すれば、彼は体型を元に戻さなければならない。
あるファンは「次回作でも18Kg増やすのでしょうか」と期待している。
役者冥利に尽きる話だ。

3.実写版に登場しなかったリヴァイ

実はこの話には反面教師がいる。

数年前、世間を席巻した「進撃の巨人」という作品があった。その年の紅白歌合戦に主題歌が歌われたことは、今でも記憶に新しい。

奇抜なストーリーにより人気を博してアニメ化され、その高品質な作画技術はファンを魅了した。原作にほぼ忠実に映像化された作品の人気は、インターネットを介して世界中に広がった。ある国では「最新作のために日本に移住したい」という声が上がったほどだ。

その熱気冷めやらぬままに、実写版の映画が作られることになった。

その時、ファンの関心は1点に集中した。
それは作中で屈指の人気キャラクター・リヴァイ兵長を誰が演じるかだ。

ファンは皆、固唾の飲んで待っていたにも関わらず、製作発表にリヴァイの名はなく、全く別人の名前があてがわれていた。
ニヒルで完璧な潔癖症、そして部下思いのヤンチャ感が色濃く残るリヴァイ兵長を、演じられる俳優が日本にはいなかったのだろうか。

確かに誰がその役を演じるにしろ、ファンの間では百家争鳴、喧々諤々となるだろう。まかり間違えば上映前に一気に評判を落としかねない。製作陣もそこまでのリスクを嫌ったのかもしれない。

ファンが失望したのは言うまでもない。当然、ストーリーも原作とは乖離し、ファンにとっては満足のいくものではなかったとの声を聞いた。
「あれは全く別の物語です」と漏らした或る一言が、今も耳に残る。

4.妥協から感動は生まれない。

キングダムに話を戻そう。

以前、テレビのこの作品の番宣番組を見たことがある。主人公の二人が原作者を訪れ、いろいろ映画の宣伝に繋げていく内容だったが、その中で特長的だったのは、作者が製作陣に深く関わり、脚本にも参加したという話だ。

それはファンに映画を見てもらいたい一心からだったという。
作者にとって全身全霊を傾けた作品は我が子も同然である。いくら映像化のためとは言え、親としては、そのような我が子に手を入れられるのは、身を切られる思いなのだ。

これまでそれが当たり前のように行われてきたように感じる。
詰まるところ、尺(時間)の関係で手を加えなければならないこともあるだろう。
しかしそれは作者の思いの内から逸脱するものであってはならないし、ファンが抱く映像イメージを損なような変更をすべきでないと思う。

妥協から感動は生まれない。
キングダムの成功を境に、潮目が変わることを期待する。

2019年5月18日

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